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礼拝
渡部信

常盤台バプテスト教会 2026.5.17. 主日礼拝 ヨハネ福音書講解㊵「イエスは父に至る道」森崇牧師【ヨハネによる福音書 14章1~14節】(新共同訳 新約P.196~197)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                 
招詞    ヨハネによる福音書 1章51節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生291番「主イエスの支配は」
主の祈り
献金感謝
聖書    ヨハネによる福音書 14章1~14節
特別賛美  ”主の祈り”
宣教    ヨハネ福音書講解㊵「イエスは父に至る道」  渡部 信牧師
祈祷
賛美    新生500番「イエスがいなければ」
頌栄    新生671番「ものみなたたえよ(A)」
祝祷
後奏
宣教概要
  今日は、ヨハネ福音書から「イエスは父に至る道」と題して私たちの信仰について学びましょう。
キリストは神から遣わされた神の御子であると私たちは信じておりますが、父なる神はこの目で見えませんが、その御子イエス・キリストは目に見える人として来られたのですから、このイエス・キリストがどのような方なのかを知ることによって、父なる神の御旨を知ることができます。イエス様が人々を愛し、病を癒し、弱い者たちの味方になって、人々を救い、最後にご自分の身を捨てて十字架の苦しみを受けてくださった姿の中に、父なる神はご自分の幅広い寛容と愛を現されました。そこで今日の聖書の箇所での大事な教えは、イエス様と一緒に居た弟子たちは、そのことがなかなか判らなかったことでした。どうしてイエス様は、たくさんの奇跡を行うことができるのか、不思議に思いましたし、またイエス様はどうして悪人を罰しないで、罪を認める者に赦しを与え、苦しむ者、弱い立場の人々のために労するのか、謎だらけでした。
そしてヨハネ14章には十字架の苦しみを受けられる前に、弟子たちに話された会話が記されています。「わたしはこれから、あなたがたの住まいを準備するためにしばらく居なくなる。そして再び戻って来る。」弟子たちは、その意味が全然、理解できなかったのでイエス様がこれからどこかに弟子たちを置いて行かれてしまうのではないかという不安に襲われました。そこで、弟子のトマスは「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」と尋ねたところ、それに対して イエス様は


「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言われました。え、「イエス様を通さない限り、誰も父の元に行くことができない」とは、果たしてどういう意味なのだろうと弟子たちは思いました。でもイエス様は「今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」と仰ったのです。これを聞いたもう一人の弟子のフィリポが驚いて言いました。「私たちは父さえ見たことがないのですから、その父を今、示しください。そうするならば満足します。」「既に父を見ている」と言われたイエス様に対して、弟子のフィリポは、いえ、私たちは今まで父なる神を見たことがないと訴えたのです。これが今日の礼拝で最も重要なポイントです。
私たちは聖書を読みながら、イエス様のなさった業や教えを学ぶことができます。しかし父なる神様となると弟子のフィリポのように、父なる神は遠い天におられると思っていることはありませんか。イエス様はそのフィリポに対して、「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、「わたしたちに御父をお示しください」と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。」「わたしが父の内にあり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい」と語ったのでした。皆さんは、このみ言葉によって、天におられる父なる神は、決して遠くにはいない。私たちの目の前にイエス様と共におられる方だと。そうです。天におられる神は、イエス様を礼拝する時に、そこに実在して下さって、私たちの祈りを聞かれておられるのです。